【COLUMN】#1 戸田デザインの「白い本」が好き!

色(color)は意識していなくても自然に目に写り込んでくる。色は私たちが対象からフェティッシュを感じとる最初のアンテナである。そして、色の色味、色合い、配色の組み合わせから私たちは何か物語を感じとっている。

 

編集長網口の第1回目のコラムでは、部屋の一角を埋め尽くしてしまいたい衝動に駆られるほど好きだと豪語する戸田ツトムがデザインした「白い本」への偏愛模様をお届けする。

白い色が好き

 白バイ、入道雲、ソフトクリーム、白T、白シャツ、白スニーカー、白線、チョーク、真船とわの詩集の挿絵、日高理恵子の樹の画、戸田ツトムのブックデザイン、井上嗣也のデザイン、杉本博司の写真、雑にペンキが塗られた建物の白い壁や家具、マルジェラのアトリエなど白い色をしたモノや作品の名前を挙げてみたが、そのモノの姿を頭のなかで並べていくだけで気分が高揚してくる。

 

 不在の在が感じられるのは、それだけ日々親しんできた証拠だろう。

 

 またこの気分には、モノの種類が変わっても色の白さが同じなだけで、いつも保留的に頭に思い浮かぶ共通のイメージが存在する。

 私が好きな白い色は、白以外の不純物が混じり合っていながらも、白が含有する滑らかさとクリーム状の質とノイズを丸のみする圧倒的な量で白さの聖域を保っているものだ。例えるなら、アンティークの家具のテーブルや棚に塗られた薄くベージュやグレーがかったような白ペンキの白がよりイメージに近い。

 

 理想形を言うならば、私の好きな白色はどこか禅的であって欲しい。

 それは、駆け込み寺のように、いつでもどんなモノとも寄り添い関わることを拒絶しない懐の広さと、あらゆる分野を渡りあって行くうちに無駄なものが削がれ、たった一本の線に到ったような引き算の美学がある。

 

 まさに色眼鏡と呼べるほどの偏見偏愛の域であるが、でもわれわれはいつだって、目の前のフィジカル空間にあるモノをそのままに見ているのではなく、頭のなかに浮かび上がるヴィジュアル・イメージを重ねて一緒に見ているはずだ。主体がいつどこにいても同じイメージに束縛されてしまってしまうのは問題であるが、客体とのコミュニケーションの機会を失っていないのであれば、その感受性はその人自身の指標として育っていく。またその人たちのスタイルになっていく可能性もある。

 

 私たち人類はフェティッシュを通すことで、虚実綯い交ぜで文化を作ってきたのであるが、私は自分が好きな白を手と目の延長線上で愛でることができていれば、それだけで充分幸せな気分になれるのである。自然と喜びが溢れるから他人にお裾分けできるくらいに、モノから感じ取ったもので心身を満たすことができるのである。

  

 だから好みではないのは、想像力が喚起されない不純物が一切混ざっていないような単色の白である。効率性の成れの果てである量産品という感じがして、見ていても触れていても面白くないし、無思考的にツルツルしていて他のモノとの相性も悪そうだ。ノイズが含まれていないから、熱がなく冷たい感じがして、味がないから他の用途にも使いずらい。でもこの“使い捨て”の感じが現代的である。

白い本が好きになったきっかけの本

 話が脱線してきたので本題に戻ろう。

 

 今回のテーマである「白い本」が好きだと明確に意識するようになったのは、グラフィックデザイナーの戸田ツトムがデザインした白い本の数々を目にするようになってからだ。戸田がかつてデザインを担当していた工作舎の『遊』の読者だったから、戸田のストイックかつダイナミックに洗練されたデザインの存在は知っていた。

 

 臼田捷治の『工作舎物語』(左右社)を読んでいたときに、「戸田ツトム」本人についてもっと知ってみたくなりGoogleを使って画像検索した。検索の結果が出て写真が画面上に現れた始めた途端、記憶に強く残っていたあのただならぬ気配のデザインと、ノイズと崇高さの両義性を纏った白い本の書影が目に何冊も飛び込んできた。

 

 インターネットで見つけられない戸田デザインの本の存在のことを連想すると、居ても立ってもいられなくなり大阪中央図書館で戸田の1975年から1999年までのデザインの軌跡をまとめた『D-ZONE』というカタログのような本を見つけ借りた。トートバックに入れて持ち帰ったのだが、袋の容量が一冊で埋まるほどの大型サイズで、内容が詰まった重量感を肩に感じながら、自宅まで自転車をガタガタ云わせながら帰ったことを思い出す。

 

 『D-ZONE』の173ページにこんな言葉が書かれていた。「われわれの読書体験は、すぐにこの苦痛を癒す。読むことには快楽があり、読むことには本を見ること、触ること、嗅ぐこと、手を動かすことにいたるまであらかじめ伴っている」

 

 本書に寄稿している多木浩二の「記憶と想像力ー書物についての覚え書」というエッセイの「感覚の読書」という章の一節なのだが、読み書きに対する対比的な構えと、感覚を通して読書の世界を広げていく考え方はいまの私の読書観の基礎になっている。読むことは快楽であり、書くことは苦痛である、なのだ。

 全部で350ページほどある『D-ZONE』は、どのページを開いても、読むことが快楽であることを私に教えてくれた。

『D-ZONE/TZTOM TODA』戸田ツトム 青土社
『D-ZONE/TZTOM TODA』戸田ツトム 青土社

手持ちの戸田デザインの本

 家の蔵書には白がメインではない戸田デザイン本のほうが多かったが、いい機会なので数冊フェティッシュに感覚の読書をしてみたいと思う。

1冊目『ルナティックス』松岡正剛 作品社

『ルナティックス』松岡正剛 作品社
『ルナティックス』松岡正剛 作品社

 水墨画のようなテイストで冷たい月のイメージを喚起させられる表紙。背景に月のような球体が薄っすらと写っているからここは月以外の場所であるようだ。森や湖のように地球にあるものと不思議な形状のモノリスのような地球に存在しないものの両方が描かれているので、懐かしい再会と新しい出会いが合わさったような何とも言えない感情を覚える。

 表紙のカバーを外してみると、本体の表紙が月の表面に擬態していた。触るとざらざらしているし、月の再現に凝っている。ノイズを含んだ白さが美しい。

 日本の月は巨大化しがちであることを示した図像。特に「野の月」フェチが日本人の感性であったことを忘れたくない。温かい緑茶とお煎餅を食べながら読むと、気持ちがさらに寛いでくる。

2冊目『都市の書物』池澤夏樹 著/戸田ツトム 構成 太田出版

『都市の書物』池澤夏樹 著/戸田ツトム 構成 太田出版
『都市の書物』池澤夏樹 著/戸田ツトム 構成 太田出版

 文字の大小のサイズ感、文字の色の濃さと背景の色の薄さの協調、見出しの角度の鋭さ、パーツ同士の配置の感覚、英語と日本語の配分、戸田の身体感覚に由来するたくさんのフェティッシュな箇所が見られる。

 目が文字を求めて余白を彷徨うように慌ただしく動く。

 多中心フェチ。事が平面のあちこちから始まっていて、それらがいつの間にかつながっているような、ドゥルーズ&ガタリの「リゾーム」のような在り方を体現している。

3冊目『行為の代数学』大澤真幸 青土社

『行為の代数学』大澤真幸 青土社
『行為の代数学』大澤真幸 青土社

 象徴的な言葉と説明的な言葉と頭蓋骨のモチーフの三位一体デザイン。ここに書かれていない内容にまで連想が飛躍するとき、読むことの快楽の世界に足を踏み入れた感じがする。

 ある時は向き合った二人の人間の横顔に見え、またある時には杯に見えるという「ルビンの杯」の反転図形のような白と黒のコントラスト。静かな気分を伴った構えで、目次と本文に入っていける。

 目に優しい薄くベージュ掛かった白色の紙に、縦書きに降りてくる明朝体の文字のリズム感。文字と文字のあいだに挟まる図解は、パウル・クレーのデッサンのように華奢な線をしている。

私の○○へ

 テーマの「」から派生して、白い物、白い色、白い本の三間連結型でモノと私のあいだの出来事の一端を書かせてもらった。今回のコラムがそこまでの出来であるかどうかはあやしいが、フェティッシュに書かれたものを読むことの愉快さはその人の感性の細部まで知れることである。

 

 環境破壊と情報汚染が進んだ社会を生きる私たちは、感覚のセンサーを閉じる努力に日々を追われている。またAIの進化によって、何が本当で何が嘘なのか、現実と虚構のあいだの境界線も曖昧化している。私が感覚のセンサーを開けて感じたことを、誰かが同じようにリアリティーを持って受け取ってくれる事実と実感、誰かの偏愛、細部へのこだわり、コレクションを知ることが、誰かのこれからの希望になることに私は希望を持っている。

 

 かつて本当に誰かに助けて欲しいと懇願するくらい苦しかった時期がある。家族も友人も医者も誰も手を差し伸べることができない不幸のなかで、唯一寛げる時間がたまたま家に届いたIKEAのカタログを読んでいる時間と好きなモノに対してフェティッシュを感じている時間だった。そうやって、自分の輪郭と自分の感覚と自分の元気を取り戻していったから、私はこの『Obujet Magazine F』を通して世の中の閉塞感をぶち破りたいのである。

 

 たとえば、白いモノに触れているときは、ノイズや不得意や汚れや間違いや誤解や誤読も含めて、自分が好きな白色の気分を世の中にも感じさせたいのである。

 

 次はあなたの番である。あなたにとって「私の○○」は何だろうか?

 そのモノとモノに対する感覚は、あなたが思っている以上に有能なエージェントとしてあなた自身を支えてくれているはずだ。好きなアーティストの歌い方でも、好きなダンサーの踊り方でもいい。トーストの焼き加減や麺の湯で加減でも、小さいモノが好きでも大きいモノが好きでもいい。

 

 何でもありみたいな世の中に、No!を突き付けるFの衝撃にこれからどれだけ出会えるのか、いまから楽しみで仕方がない。 


PROFILE

網口渓太 
あみぐち・けいた/1991年生まれ、関西出身。ウェブマガジン『objet magazineF』編集長。ZINE『読まれた本』vol.2まで発行中。最近のフェチは、飛行機雲の直線、b5サイズの方眼ノート、大きめのタブロー、kohhの声、人が書く文字。

Objet MagazineF

https://www.objetmagazinef.com