【COLUMN】#2 KOHHの「声」が好き!

 誰もが日常のなかで経験する通り、友人や知人と会って話したことは数日も過ぎれば大概の内容は忘れてしまうものだ。だがその人の話し方や声の印象は何年経っても記憶に残っていないだろうか。

 

 産声と共に生まれ、たくさんの声を交わし合い、息を引き取って死ぬ私たちにとって、声は余りにも当然にそこにあるため、歌手や声優やアナウンサーの仕事でもしていない限りは、普段意識する機会は少ないであろう。

 

 フランスの哲学者ジャック・デリダは「フォネーム(声素)こそあらゆる記号のうちで最もイデア的である」と言ったが、声は大きさや小ささ、高さや低さだけではなく、書道の文字ように明暗があり濃淡のような要素もあるし、おそらく他にもさまざまな特徴を秘めている。

 

 声に始まり、声に終わる私たちは、もっと声に興味を抱くべきなのであろう。今回は自身のライフスタイルや死生観をラップで表現するラッパーのKOHHの声をフェティッシュに読み解いていきたい。

KOHHの存在感

 テレビ朝日で放映されていた「フリースタイルダンジョン」がきっかけで日本語ラップを日常的に聴くようになっていた。当時よく聴いていたのは、番組に出演していたラッパーの曲で、いとうせいこう(口ロロ)、Zeebra(キング・ギドラ)、般若(妄想族)、漢a.k.a.GAMI(MSC)を始め、日本語ラップが経てきた歴史を準えるようにして、親しんでいった。

 

 ラッパーがabemaTVで冠番組を持ったり、地上波の番組にも出演するようになるなど、お茶の間でもラッパーの顔がよく見られるようになっていた。教科書通りというようにラップに親しんでいた私であるが、文芸誌『ユリイカ』の2016年6月号の「日本語ラップ」特集でインタビューされていた一人のラッパーの存在を知り、さらに日本語ラップの世界にのめり込んでいくことになるのである。

 アーティストの名前はKOHH。現在は千葉雄喜として世界中で名前が知られ、曲が愛されているラップ界の寵児である。

 

 『ユリイカ』では、KOHHとして活動していた頃のインタビューが載っているのだが、8枚掲載されているグラビアの姿がとにかくカッコいい。上下黒の細身のスーツ、短く刈られた色の入った髪、レリーフ装飾の入ったサングラス、タトゥーで埋め尽くされた肌、左手の人差し指と薬指につけられた存在感がある指輪。立ち姿も姿に勢いがあるという意味を表す姿勢の良さを感じさせる。

 

 KOHHの配置感覚は芸術の域である。バランス感覚が他より優れている。インタビューや取材時の言葉を拝読するに、本人としては「こっちの方が気持ちがいい。何かしっくりきます」というように、当たり前の事をやっているだけなのだろう。

 

 全身の肌にタトゥーが入った身体、身に付けた服とアクセサリー。スマホのメモで書いているという詞の並び(現在は歌詞を書かずにフリースタイルで録音しているらしい)、曲によって変える声のトーン。乗っている車や住んでいる家、家族友達アーティストとの付き合い方、ビジネスの進め方、偶然と必然の掴まえ方も含め、KOHHを取り巻くあらゆる部分と全体の関係性がチーム友達状態と名付けたくなるくらい良い循環の景気の良さを感じさせてくれるから、KOHHから千葉雄喜になった今も、世界中で愛され続けているのだろう。

曲からKOHHを感じてみる

 では百聞は一見に如かずということで、KOHHの声に注意を向けながら、実際にミュージックビデオを観ていこう。

 KOHH『毎日だな』

 真っ黒の背景に浮かび上がる、青い髪に黒いTシャツ姿のKOHHの上半身が映る。片手にスマートフォンを持ち、スタンドマイクに向かい歌う様子は、「THE FIRST TAKE」を先駆けているようで洗練された印象を受ける。

 

 曲は起承転結で内容を順番に展開しながら構成していくというよりも、曲名の『毎日だな』を鍵にして当時のKOHHにとって当然の日々の心境や事実が吐露される形式であるところが面白い。「息を吸ったら吐いて」「美味しいご飯を食べる」「可愛い女の子とデート」「ただ楽しんでるだけ」、一曲たったの4分程だけど、KOHHの人生観を凝縮した詞の断片がダイジェストのようになって、時系列が混ぜこぜにになっているタイプの映画を観ているように、KOHHのライフスタイルを想像しながら世界観に没入できる。

 

 曲の元ネタと言われるカニエ・ウエストの『ALL DAY』と聞き比べてみるとよく分かるが、何よりの「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけのような小節の語尾のイントネーションの耳心地がいい。

 KOHH『LOVE feat.sequick』

 KOHHはラップ業界では“神”と形象されることがあるが、個人的に一番神っぽい曲だと思っている一曲。

 

 歌詞も「Don't worry すべて Be alright ほら空を見上げてこう」で始まる通り、上空から鳥瞰しているような視点で人類、KOHH的に言うならば広い意味での俺たちを描いている。『LOVE』という曲名で愛を題材にして歌っているわけだから、声の印象は重たくなったり曲中に気持ちの浮き沈みがあるような場面があるかと思えば、そうではなく、終始軽やかに小躍りしたくなるような小気味よいリズムを刻んでいく。自分との距離すらも隔てながら淡々と世界を描写している声に注目である。

 KOHH『Fuck Swag』

 達観した神ではなく一人の人間として苦悩するKOHHの姿が垣間見られる。詞にも声にも、自分のスタイルを流行として真似しようとしてくる他のアーティストたちへアンチテーゼを向けているようにも、世間で名前が広がった今なりたくない自分にならないように、曲を通して自分自身に向けて誓いを立てているような印象も受けた。

 

 KOHHの表現の仕方は、詞も声も振る舞いも素のままである。我がままといってもいい。

 

 我が国で最初の芸術論と目される紀貫之の『古今和歌集』(905年)の冒頭に、「やまと歌は、人の心を種として、よろろづの言の葉とぞなれりける」という言葉がある。「やまと歌」というのは中国の「から歌」に対する言葉で、当時の日本にとって模倣をする対象は中国であった。冒頭の言葉の意味は、日本の歌というのは人の心を植物の種子のようなものにみなすとすれば、それが育って多くの葉をつけるように言葉になって表れ出たものだ、というものである。

 

 紀貫之が問題にしているのは「人の心」である。KOHHもこの曲のなかで何度も、対象を真似するのではなく、感情や感動と言ってもいい心を表現することの重要性を歌っている。紀貫之もKOHHも徹底的に主情主義の美学を説いているのだ。

 

 それは、心のうちにあれこれと思うことを、目に見えるものや耳に聞こえるものに託して表現するということである。対象が客観的にどういう性質を持っているかということは問題ではない。欧米の著名なラッパーの曲をビートジャックしているのに、KOHHの曲になっていくのは彼が音に素直に乗りながら、心の内を素直に表出できているからであろう。

 

 付け加えておきたいのは、KOHHにとっての俺は同時に俺たちであるところである。まるでメンバーズクラブのように、俺で閉じずに俺たちで閉じる。KOHHという存在には、他人の目を気にして、同質化しまいがちな現代人が見習うべき箇所が隠されているのである。

KOHHのライブを疑似体験する

 

 かつてイギリスを中心に起こったレイヴ文化は、エクスタシーやMDMAの恍惚感を利用することで、その場に集う若者たちの晴れやかな笑顔やポジティブな語らい、見ず知らずの人間を受け入れる姿勢を作っていた。でも今私たちの目の前にはKOHHの曲がある。ドラッグを使わなくても、KOHHの曲と声があれば、「自分にはこれをやれる、きっとやるんだ」と前向きな気持ちになって、私や私たちの人生の充実した時間を与えてくれるだろう。

 

 では最後は、2016年のBoiler Roomで催されたライブ映像を観ながら、KOHHの声を全身に浴びて終わりとしよう!

 


PROFILE

 

網口渓太 あみぐち・けいた/1991年生まれ、関西出身。ウェブマガジン『objet magazine F』編集長。ZINE『読まれた本』Vol.2まで発行中。最近のフェチは、飛行機雲の直線、b5サイズの方眼ノート、大きめのタブロー、kohhの声、人が書く文字、


Objet Magazine F

https://www.objetmagazinef.com