【連載】『Fetish Library』#2「ガジェットという概念」

コップは何に使える?

 ご存知の読者の方もなかにはいるであろうが、東京都世田谷区に拠点を構えるイシス編集学校というユニークな学校がある。オンライン学習で方法に関する学びを提供している学校なのだが、ここに入門する生徒全員が一番始めに取り組む【コップは何に使える?】という5分間で様々なコップの使い方をあげていくというお題が面白い。

 

 回答にはこういうものが並ぶ。

 水を飲む、歯ブラシスタンドにする、オブジェとして並べる、楽器にする、ドーナツの真ん中を空ける、花を挿す、土を掘る、壁越しに音を聞く、割ってストレスを発散する、野菜スティックを入れる、小さい水槽にするetc.

 

 よく見かけるガラス製のコップを一個頭の上に浮かべながら使い方を色々と模索してみた。たしかに「コップは何に使える?」というフィルターで考えてみると、普段水を飲むという用途以外にコップを使えていないことが申し訳なくすら思えるくらい、色々な場所や場面で活躍できる代物であることがわかってくる。

 私にとっては、このように一個のコップでありながらも同時にさまざまな用途にまで連想を広げていけるこの物と人の関係性かつ在り方こそ、『Objet Magazine F』でお届けしていきたいフェティッシュの要点である。何だか景気がいいような気がしてくるのである。

 

 コップのように日常に同一化してしまいがちな日用品であればなおさらに、必要に駆られない限り他の使い道を考える場面にすら出くわさないであろう。だが、「コップ」という物と名前のあいだで言葉とイメージを動かし、水を飲むものとして一体化してしまったコップの固定概念を揺るがせてみることで、他にも活躍の場所があったコップ本来の姿を取り戻すことができるのである。

 

 物の価値がまだ物の中にも外にもあり、引き出されるのを待っているのに、その魅力を見つける努力をせずに、いつもと同じ場所でいつも同じように扱い、目新しい物が入ってきたら古くなったものは捨ててしまってはいないだろうか。

 

 「感傷的ですね」と言われてしまったらそれまでだが、使い捨てにされる物の虚しさを感じず、使う側の想像力が不足していることへの罪悪感を持たないでいいのだろうか。おそらく私も含めて、現代人は無意識の内にあらゆるところで礼儀を欠いた言動や振る舞いをしてしまっているのである。

 

 自分が礼儀を欠いてしまっていることを知るのは大変怖いものではあるが、ただ自分の行為を別の観点から思考する可能性を奪われ、最適化された閉鎖的な世界でのうのうと生きてしまっていることの方が、後で取り返しのつかないような怖さを今感じている。

「ガジェット」という概念

 現代人が思考する可能性を奪われていることにおそれを感じていたときに、本屋で面陳されていた戸谷洋志の『スマートな悪』を手に取った。

 

 「スマートな悪」とは掻い摘んで言うとすれば、私たち人間があたかも自分から望んで社会の仕組みに順応しているかのように、最適化することで、システムの歯車となり、責任の主体としての能力を失い、無抵抗なままに暴力に加担してしまう悪のあり方である。

 

 まさに今考えておきたい内容の本だったので、その場で購入してすぐに家に帰宅して読み始めた。

 

 本書では、ナチスドイツにおける親衛隊の将校であり、ユダヤ人迫害の中心人物であったアドルフ・アイヒマンをめぐる問題が、「スマートな悪」を理解するためのキーポイントとして挙げられている。内容が気になる読者の方は、ぜひ実際に手に取って読んでみて欲しいが、私個人としては、[今日を生きる私たちもまた、「アイヒマンの息子たち」である]という言葉が刺さった。

 

 そしてこの本の中で今回のこのコラムを書くきっかけとなった概念である「ガジェット」に出会った。では、ガジェットとは何だろうか。少し引用が長くなるが、とても興味深い内容なのでぜひ一読してみて欲しい。

戸谷洋志『スマートな悪 技術と暴力について』
戸谷洋志『スマートな悪 技術と暴力について』

 今日においてガジェットという言葉は、多くの場合、電子的な機械やそれを補助する道具を指すものとして使われている。たとえばキーボードやマウスなどのPC環境を補助する道具に強いこだわりをもつ人は、ガジェットオタクと呼ばれることもあるだろう。しかし、語源を辿り直すと、この言葉の射程はもっと広範囲に及び、また観念的であったことが分かる。少なくとも英語圏においては、十九世紀半ばから「ガジェット」という言葉は使用され始め、当初それは、もともとの名前を忘れられた道具を指す言葉として用いられていた。

 

 名前を忘れられた道具、とは何だろうか。

 

 典型的な「ガジェット」の使用場面として挙げられるのはバイクの修理である。たとえば、その車体にある部品を固定したいが、それに適した道具がない、という状況を考えてみよう。そのとき、あなたは近くに手頃な道具が転がっていることに気づく。その道具はもともとバイクのために作られたものではないし、そもそもなんでそこにそんな道具があるのかも覚えていない。しかし、とにかく現在の修理にはピッタリだから、その道具を活用して作業を進める。このように扱われるとき、この道具は「ガジェット」と呼ばれることになる。

 

 しかし、それが道具である以上、その道具にもかつては名前が与えられていたはずだ。たとえばそれは、もともとは、船を修繕するための道具だったかも知れないし、あるいはキッチン用品だったかもしれない。しかし、そうしたもともとの用途が忘却され、別の用途のために活用されるとき、その道具はガジェットとして扱われることになるのである。

 

『スマートな悪 技術と暴力について』戸谷洋志

 痺れた。冒頭で書いた「コップは何に使える?」を思い出してみて欲しい。つまり言葉やイメージを使って連想を広げながら、コップの使い方を30通り考えてやったことというのは、コップのもともとの用途を忘却し、別の用途にも活用できるガジェットとして、もう一度コップの価値を再確認することだったのである。

 

 本書を読むとわかる通り、スマートな悪とは、システムへの良心の最適化によって生じるものだ。そうした最適化が絶対的な閉鎖性のうちに飲み込まれるとき、私たちは、自分の行為を別の観点から思考する可能性を奪われる。

 

 そうした事態に抵抗するために求められるのは、自分の行為を別の観点から思考する可能性を取り戻すことでしかない。私たちが冒頭にコップの使い方を30通り以上考えたようにである。

 

 ガジェットという概念の良いところは、かつては名前が与えられていた道具であるところだ。戸谷が「開放性とは、あくまでも複数の閉鎖性への開放性である。そうした開放性が人間の良心を最適化から免させる」と書いている通り、自分は属している閉鎖的なシステムと同じように、他の閉鎖的なシステムを眺めることができれば、そこに思考の可能性が開かれるのである。

 

 現存する世界とは違う外側の世界を生きようとするのは流石に無理がある。だが、スマートなシステムのただなかにありながら、ガジェットという比喩による自己理解をすることで、責任の主体としてのあり方を取り戻すことはできる。『Objet Magazine F』が主題とするフェティッシュも、人それぞれが物に対して違うフェチを感じることで、既存の用途とは別の世界を見せてくれる。

 

 そろそろ正解神話から目が覚めてもいい頃合いなのではないであろうか。


PROFILE

 

網口渓太 あみぐち・けいた/1991年生まれ、関西出身。ウェブマガジン『objet magazine F』編集長。ZINE『読まれた本』Vol.2まで発刊中。最近のフェチは、飛行機雲の直線、B5サイズの方眼ノート、大きめのタブロー、kohhの声、人が書く文字。


Objet Magazine F

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